風の狩人


第2楽章 風の軌跡

4 不穏な影


龍一は一通りやる事が終わってしまうと、そっとレッスン室の扉を開けた。静寂に包まれた時の流れ。それは、永遠の砂時計に似ている、と龍一は思った。途切れない時間の輪の中に自分は佇んでいるのだ。
「ピアノ……」
黒く美しいフォルム。その光沢の中に龍一が映っていた。一輪挿しに飾られた赤い花びらが微かに首を傾け、龍一を見つめる。
ふと、懐かしさが込み上げて蓋を開けた。そして鍵盤カバーをやさしく摘まむと、きちんとたたんで脇の机に置いた。それから、恐る恐る人差し指で鍵盤を押す。が、擦れた音は寂しい残響を残しただけですぐに消えた。
龍一は苦く笑うと、自分の横に美緒先生のやさしい微笑が映ったような気がした。

――そうそう。上手よ、龍ちゃん

「美緒先生……」
それは龍一が幼い頃、習っていたピアノ教室の先生だった。

――龍ちゃん。先生ね、結婚するの。でも、心配しないで。新婚旅行から帰って来たら、必ず教室は続けるわ。だから、先生がいなくてもちゃんと練習しておくのよ
「はい。先生。ぼく、ちゃんと練習しておきます」
小学生だった龍一が答える。

「そうだ。練習……」
彼は、おもむろに椅子を引き出すと鍵盤に手を置いた。そして、彼女に習ったモーツァルトの曲を弾き始めた。彼女は旅行から戻って来なかった。音楽教室は閉鎖され、龍一はピアノを習うのを止めてしまった。が、今、この部屋にいると、その頃の時間が戻って来たように思えた。初めは上手く弾けなかったが、何度か繰り返しているうちに勘を取り戻し、いつしか彼は夢中になっていた。


結城が家の前まで来ると、ピアノの音が漏れていた。
「ん? 教室の生徒か?」
結城は腕時計を見た。
(妙だな。今日は遠足に行くからレッスンは休みだと聞いてたのに……)
予定が変わったのだろうかと首を傾げながらも、玄関の鍵を取り出した。曲はなかなか流暢に弾けている。子どもに教えるのは楽しかった。が、もうレッスンを続ける事は出来ないのだと、教室の生徒達にも告げなければならない。辛い気持ちを抑えて結城はドアを開けた。途端にピアノの音が大きく響いた。
「モーツァルトか。弾いているのは真菜ちゃんか。大分上手になったな」
しかし、何となくいつもの真菜とは弾き方がちがうと感じて足を止めた。

結城は、軽くノックするとレッスン室に入っていった。
「あ、先生、お帰りなさい」
ピアノの前に座っていた龍一が振り向く。結城は一瞬目を見張った。
「風見? 君が弾いてたのか?」
それは、あまりにやさしい響きのソナタだった。
「はい。小学生の頃、少し習ったことがあって……」
「へえ。驚いたよ。君にピアノの才能もあったなんて……」
「才能だなんて……。ぼくはいつも注意されてばかりでした。ほら、龍ちゃん、楽譜をよく見て、音が違うよとか、指がずれてるねとか……いつも注意されて……」
「へえ。龍ちゃんって呼ばれてたんだ。可愛いね。僕もそう呼ぼうかな?」
結城が笑う。
「え? それは……」

「じゃあ、龍一君とか?」
「出来ればその、龍一って呼んでください。みんな、そう呼ぶから……」
少し照れたように言う少年に、結城は訊いた。
「それで、龍一は、いつまでピアノ習っていたの?」
「小6までです」
「そうか。残念だな。もっと続けたらよかったのに……。みんなそれくらいの年になるとやめちゃうんだよね。中学の勉強が大変だからって……」
結城はピアノの上に並んだ楽譜の1冊を手にして言った。
「ぼくは、止めるつもりなかったんですけど、習っていた先生が……旅行先の事故で亡くなってしまったので……」
結城は楽譜をそっと返して少年を見つめた。
「そうだったのか。それはお気の毒に……」
「あの、結城先生も教えておられるんですよね。音楽教室って看板出てたし……。ぼくにも教えてくれますか?」

しかし、結城は困ったように彼を見つめた。
「教室は止めようと思っている」
「え? どうしてですか?」
「近いうちにここを売って、遠くへ引っ越そうと思っているんだ」
「遠く? じゃあ、宮坂も辞めちゃうんですか?」
「ああ」

「何故なんですか?」
「これは、もう一つの僕の仕事。風の狩人として、どうしてもやらなければならないんだ。奴と決着をつけるために……」
結城は真剣な表情をしていた。龍一は息を呑んだまま、そんな彼を見つめた。
「決着をつけるって……。つまり、あの浅倉って男のことですか?」
結城が頷く。
「そんなの駄目です。先生。この家を売るなんて……。宮坂も辞めてどこかへ行ってしまうなんて……」
「でもね、これは、僕に課せられた宿命だから……君達を巻き込む訳には行かないんだよ」
結城は、どこか寂し気な瞳で言った。

「いやです!」
龍一が叫んだ。
「この家を売らないでください! 先生。ここは……とても懐かしい香りがするから……母さんの香りが……昔の時間がここにあるから……お願いです。先生。ここを売らないで……。先生だっていつかはここに戻ってピアノ教室を続けたいんじゃないですか?」
「ああ……。そうだね。出来る事なら……」
それは、彼の本心でもあった。誰が好き好んで母の家を手放そうとするだろう? そして、自分を慕ってくれる小さな生徒達を悲しませるなんて、心に反することでしかない。だが、現実はシビアだ。幼い者達の信頼など、簡単に裏切ってしまうかもしれない。が、彼は何も言わずに頷いた。何よりも自分自身のために、そして、勇気を奮い立たせるために……。

「先生」
龍一が言った。
「ぼくもいっしょに連れて行ってください」
「駄目だ」
結城はきっぱりと言った。
「何故ですか? ぼくだって、何かお手伝いがしたいんです。何故、先生は一人で戦おうとしてるんですか? ぼくに出来ることはないんですか? ぼくじゃ、役に立たないって事ですか?」
「そうだ」
結城は、切り捨てるように冷たく言った。
「そんな……!」
その言葉に、龍一はショックを受けた。彼は階段を駆け上がって行った。

結城は、一人取り残された部屋で深いため息をついた。
(あの子は、ひどく傷ついただろう。だが……)
「……駄目だ」
結城は呟いた。やはり、龍一を連れて行く訳には行かない。
(あの子はキーだ。場合によっては切り札になるかもしれない。だが、今は、まだ早い。たとえ、あの子が望んでも、能力的には、あまりに未熟だ。だからと言って、あの子を守って戦うなんて、僕には重過ぎる。選択を間違えれば、共に破滅だ。あの子を育てる時間が欲しい。だが、現実は甘くない。一体どうすればいい? 僕は、どうすれば……?)
外は、すっかり夕闇に包まれていた。街灯が灯り、家路を急ぐ車やバイクの音が家の中にも響いて来る。二階からは、何の気配も聞こえない。結城はそっと部屋を見に行った。少年は電気も点けず、薄闇に紛れ、膝を抱えていた。

「龍一……」
結城が蛍光灯のスイッチを入れる。パッと部屋が明るくなった。
「さあ、そろそろ夕食にしようか?」
声を掛けると、部屋の隅でうずくまっていた少年は僅かに顔を上げてこちらを見た。
「ぼく、欲しくありません」
無機質な返答だった。
「それなら、少し話をしようか? 僕もまだ、あまり食べたい気分じゃないから……」
結城はそう声を掛けたが、龍一は虚ろな視線でずっと宙を見ていた。
「藤沢が君の事、とても心配していたよ。本当にいい友達なんだね」
結城が言うと、龍一は微かに笑んで言った。
「本当にいい奴なんです。健悟は」
「幼馴染なんだって?」
「はい。ずっと幼稚園の時から」
龍一は、うれしそうに言った。
「いいね。そういう友達。先生も欲しかったな」
龍一は思わずそんな結城を見つめた。
「先生にはいないんですか? そういう友達」
「いたよ。学生の頃から、ずっといっしょで共に学び、共に音楽を競った仲間がね」
そこで、彼はふっと視線を落として続けた。

「でも、いつの間にか道を違えてしまった……」
少年は、寂しそうな結城の横顔をじっと見つめた。そんな視線に気づいて結城が訊く。
「ところで、君は将来何になりたいの?」
「……医者です」
「それはいいね。君ならきっと、みんなから信頼される良いお医者さんになれると思うよ」
しかし、龍一は軽く首を横に振った。
「でも……駄目なんです。もう……」
「何故?」
「だって……父さんの病院は、もうなくなってしまったんだもの。焼けてしまったんだ。何もかも……父さんも母さんも、そして、ぼくの夢も……」
龍一は、じっと手のひらを見つめ、それから、不意に強く握って震わせた。悔しくて、悲しくて……。でも、涙は出なかった。心が乾いて声さえうまく出なかった。燃え盛る炎と渦巻く闇の風が、彼の心を記憶の底に捕らえて、いつまでも放してくれないのだ。

「聞こえるんです。あの声が……」
渦巻く炎の中に嘲るような笑い声が響く。
「そうして、君は見たんだね? 闇の風を」
結城が言った。龍一が微かに唇を震わせて頷く。
「その闇を放ったのは……」
結城は一つ間をおいて続けた。
「浅倉茂。あの男かもしれないんだ。そう……かつて、僕の親友だった男さ」
「先生……!」
「そうなんだ。あの火事は多分、偶然なんかじゃない。始めから仕組まれて起きたんだ」
苦痛をこらえて搾り出すような結城の言葉に、龍一は動揺し、視線を泳がせた。そんな少年に結城は詫びた。

「すまない……。そんな事になったのは、みんな、僕のせいかもしれない」
「どういう意味ですか? それは」
「実は……」
結城は、浅倉と共にドイツへ留学し、風の狩人になるための訓練を受けた事を話した。
「奴は強い能力者を集め、この日本で何かやろうと画策してる」
「何かって?」
「それは僕にもわからない。だが、誘いを断った僕に、奴は執着してる。そのせいで君や学校にまで迷惑を掛けてしまった」
「でも、何故、先生が狙われるんですか?」
「奴は力に溺れてる。自分が持ってないものを持っている人間が許せないんだ。そして、人が持っているものを欲しがる。そんなひねくれた奴なのさ」
龍一こそがその核心を握っている能力者かもしれない。が、結城はあえて、その可能性について触れなかった。有り得ないとは思うが、どこかで浅倉が聞いているのではないかという不安を拭う事が出来なかったからだ。

「だからね、出来るだけ早く僕から離れた方がいい。そうすれば、君は安全だ」
「そんなのいやです! 先生と離れるなんて……! せっかく会えたのに……あの風が見える人に……しかも、風を狩る力を持った人に……教えてください。ぼくに。どうしたら、風を操れるようになるんですか? どうしたら、浄化出来るように……?」
「風を呼ぶんだ。雑念を払い、精神を集中して自然の声を聞くんだ。風の声を……。でも、決して一人でやってはいけないよ。闇の風は人を喰うものだからね。一筋縄ではいかない。怨念の集合体だと言う人もいるくらいだ。いつも付け入る先を狙っている。未熟な者が扱おうとすれば、たちまち奈落の底に落とされ、喰い尽くされてしまう。そして、その取り込んだエネルギーで増殖し、新たな生贄を求めて彷徨っているんだ。これはもう、強力な光の風で浄化させるしかない。ましてや、自然界には、人の力ではどうすることも出来ない程巨大化し、手に負えないものさえ存在する。見極められなければ命取りだ」

「でも、先生がいれば安全でしょう?」
そう言う龍一の言葉を結城は否定した。
「とんでもない。買い被りだよ。僕は、それ程強い能力者ではない。だから、君を守れない。せめて、安全な所へ逃がしてやる事くらいしか……今の僕には出来ないんだ。だから、君は大叔母さんの所に行って勉強を続けなさい。そして、医者になるんだ。人々の役に立てる立派な医者に……。病院は君が作ればいい。僕といたら、きっと不幸になる。そのせいで、君は両親を亡くしてしまったんだからね……。離れなさい。早く。風使いは必ずしも幸福ではない。むしろ、知らない方が幸せだという事もあるんだ」
「でも……」
「いいから、帰りなさい。長野へ。そうして、君は君の夢を叶えるんだ」
「だけど、先生……」
龍一は縋るような目つきで彼を見た。が、結城は言う。
「帰るんだよ。長野へ。今すぐ車で送ってもいい」

「……いやです」
龍一が静かに言った。
「え?」
彼は唖然としてその顔を見た。
「そんなの、いやです。ぼくはここにいたいんだ」
泣きそうな声で龍一は訴えた。が、結城も譲らない。
「何度言ったらわかるんだ? もう小学生じゃないんだから。そんな駄々っ子みたいなこと言うんじゃないよ。さあ。鞄を持って」
近くにあったそれを拾うと龍一の腕を掴んだ。
「いやだ!」
少年は必死にその手を振り解こうとする。
「龍一!」
どんなにきつく窘めても彼は聞かなかった。

「何度も言わせるんじゃないよ。ここは危険なんだ」
「それでも、ぼくはここにいたいんです。いいでしょう?」
「駄目だ!」
厳しく言って睨みつける。龍一もじっとそんな彼を見つめた。が、何を思ったか、いきなり、彼は結城を突き飛ばして廊下の向かいの部屋に飛び込み、ドアを閉じた。
「龍一!」
結城も慌てて後を追い、ドアを開けようとノブを回す。が、開かない。どうやら、内側から鍵を掛けたらしかった。
「龍一! 開けなさい! 龍一」
結城は激しくドアを叩いたが、全く応答がない。
「龍一……」
結城は呆然としてドアを見つめた。いつも沈着冷静な優等生だった龍一がこんな行動を取るなんて、思いもしなかったのだ。

「龍一」
「……絶対にいやだ。ぼくは帰りません。先生が駄目と言ったって、ぼくは……」
ドアの所にいるらしかった。が、それ以降、いくら呼び掛けても返事はなかった。それで、どうしたものか、と思案していると、電話が鳴った。
「はい。もしもし。結城ですけど」
それは、『ノアン』のマスターからのものだった。
「え? 今日これからですか?」
結城は、ふと少年のいる部屋のドアを見た。
――そうなんだよ。ピアニストが急に来れなくなっちゃってさ。とても困ってるんだ。ね? 頼むよ。直ちゃん。ちょっとだけ弾きに来てくれない? 女の子達も喜ぶしさ

「でも、先輩。今夜はちょっと予定が……」
結城は何とか断ろうとするが、
――そこを何とか。お願い!
と懇願され、考えた末に引き受けることにした。少し冷静期間を取った方がよいと判断したからだ。結城は、龍一の分の食事を台所のテーブルに置くと蝿帳をかぶせた。それから、もう一度二階へ行くと、ドアをノックした。返事はない。
「龍一。食事、キッチンのテーブルに置いてあるからね。お腹が空いたら食べるんだよ。先生は、ちょっと出掛けて来るからね。くれぐれも気をつけて」
それでもまだ返事はなかった。結城は一つ小さなため息をつくと一気に階段を駆け下りた。


夜、11時を過ぎていた。『ノアン』を出ると、結城は、少し離れた駐車場に向かっていた。商店街の灯りは消えて、闇の中に浮かぶ街灯がポツリポツリと薄く足下を照らしている。
(すっかり遅くなってしまったな。龍一は、もう眠ってしまったろうか?)
いくら危険が迫っているからといっても、あれは少し性急過ぎたのではないだろうか? もう少し穏やかに説得した方がよかったかもしれないと結城は心の中で自省した。星のない夜だった。駐車場はしんと静まり返っていた。点在する車の影がぼんやりと続いている。その中程まで進むと、結城は白い境界線を超え、ポケットから車のキーを出した。

その時、背後から声がした。
「おまえが結城か?」
声は低かったが、バックミラーには、ゴーグルを掛けた少年の顔が映っている。背後にも二人。後ろに回した手にはしっかりと得物が握られている。
「ああ、そうだが。君達は誰だ? 僕に何の用がある?」
結城がゆっくりと振り向く。
「てめえのせいで、ダチが警察に捕まった。落とし前をつけてもらうぜ」
体格のいい少年が凄む。
「明彦君の事か? なら、すぐに示談が成立すると思うよ。弁護士さんが取りはからってくれているからね」
「うるせえ! 黙れ!」
彼らはいきり立って結城を包囲した。
「それに、僕も訴えたりしないつもりだ。あとは被害を受けた少年が納得すれば済む事だ。彼は従兄弟を訴えたりしないと思うよ」

周囲には闇が渦巻いていた。
「ああ、奴はしないだろうさ。だが、あんたは別だ」
「別とは?」
「そんじゃあ、俺達の流儀に合わねえって事さ」
背後にいた少年が木刀を握り直して言う。
「なら、どうしろと言うんだ?」
結城が訊いた。
「金だよ、金」
「ま、てっとり早く言うなら慰謝料を払えって事さ」
もう一人の少年が言った。
「精神的苦痛ってのかな。まあ、どうせ教師なんて安月給なんだろ? 今回は特別に10万で勘弁してやる」
結城は黙って彼らを見つめた。道路脇に3台のバイクが停まっている。ここからではナンバーまでは確認出来なかったが、ゴーグルの上からでも顔はある程度視認出来る。

「どうしたよ、金がないなら、コンビニまで同行したっていいんだぜ」
少年達が詰め寄る。
「いやだと言ったら?」
足元の影を見て、結城が言った。
「何だと?」
「ふざけやがって! このままで済むと思うなよ!」
背後の二人がカッとなって得物を振り上げた。
「やめておきなさい。君達に勝ち目はない」
結城は冷静に言うと、一歩下がって闇を見つめた。
「やっちまえ!」
リーダーらしい男が命令すると、左右の少年が得物を振り下ろして来た。が、結城は左側の少年のそれを躱すと、右脇を狙って来た木刀の先を素早く掴んで思い切り引いた。
「くそっ!」
不意を突かれてバランスを崩した少年を避けるように反転すると同時に、今度は正面にいた男の脛を蹴り、足払いを掛ける。
「ちっ! なかなかやるじゃねえか、おっさん」
その少年は持っていた角材を地面に突いて支え、転倒を免れた。が、結城の方は逆にバランスを失した。最初に躱した細身の少年が闇雲に木刀を振るって来るのを避けるのに必死だったからだ。

バイクの走行音が近づいていた。彼らの仲間かもしれない。
(まずいな)
結城はふらついた足で何歩か下がると片手を突いた。それをチャンスと見た少年達が一斉に攻撃しようと得物を掲げる。その時、結城が呼んだ風が少年達の周囲を巡り、彼らの手にした武器を弾き飛ばした。
「な! 何をしやがった?」
少年達が驚いて彼を見つめる。その時、駐車場に1台のバイクが走り込んで来た。
「あんた達、そこで何やってるの?」
バイクの後ろに乗っていた少女が叫ぶ。
「お、俺達、明彦の敵を……」
細身の少年が言い訳する。

「誰がそんな事しろと言ったの?」
少女は怒りを露わにしていた。
「でも……。このまんまじゃ道理が通らねえし、こいつから金巻き上げれば一石二鳥じゃないか」
もう一人の少年も不平を言う。
「駄目よ! 勝手な真似するんなら抜けてもらうからね!」
少女は言った。
「でも、こいつが変な力使うから……。アキラと同じような風の力みたいな奴……」
細身の少年が言う。
「風の力?」
結城と少女が同時に言った。
(この少女は風使いなのか?)

その時道路を通った車のヘッドライトがそのバイクを照らした。一瞬、バイクの少年の顔が見えた。
「平河……」
それは、結城の学校の生徒だった。
「おい、平河、これはいったいどういう……」
突然、左肩に激痛が走った。背後の少年がいきなり角材で殴り付けて来たのだ。結城は一瞬肩を押さえて蹲った。
「馬鹿! 何やってんのよ」
少女が叫んだ。が、少年達は既に自分達のバイクの方へと駆け出していた。
「結城先生……」
平河が呟く。が、少女はバイクを発進させるように言った。
「あれくらいなら死んだりしないよ。それに……。教師なんてろくなんじゃないもん。まして風の力を持ってる先生だなんて……」
「でも……」
平河は迷っていた。が、結城がすぐに立ち上がるのを見て、慌ててアクセルを吹かした。

「待て! 平河!」
結城は何歩か走り出したがすぐに止まって肩口を押さえた。その手に血がべったりと付着している。足元に折れた角材が落ちていた。少年はそれを使ったに違いない。
「何て事だ」
相手が少年だったので、結城は力を加減した。その結果がこうだ。彼は軽く左手の指を動かしてみた。問題はない。が、肩から背中に掛けて痺れるような激痛が走った。
「参ったな。骨が折れてるかもしれない……」

その時、ポケットの中で携帯が鳴った。メールが1件。
結城はその差出人の名前を見て、信じられない、という顔をした。それは、浅倉からのものだったからだ。
「何故、奴が……?」

――「彼女は、元気だったかい?」

短いメッセージだった。が、結城は今日、学校の帰りにショップへ寄り、携帯の番号もアドレスもすべて変えていた。それなのに、何故……? 納得がいかなかった。と、昨夜のナザリーの言葉が蘇る。

――個人情報なんて簡単に手に入るのよ

(そうかもしれない)
だが、浅倉の執拗なまでの執念としつこさは異常としか思えない。結城は心からぞっとするものを感じた。そして、彼女の身を案じずにはいられなかった。彼女は確か、昨夜の事を浅倉は知らないのだと言わなかったか? 月は暗雲に覆われている。痺れは消えかけていたが、代わりに頭をもたげた大いなる不安が血脈を巡り、全身に鼓動を感じさせていた。そして、龍一……。彼を家に残して来たことを今更ながら後悔した。
「何事もなければ……」
結城は祈るような気持ちで車を飛ばした。